8/27 白洲次郎

hosoda

 富裕にして華麗な経歴を持った政治家・実業家でした。1902年生まれで、1985年に亡くなっています。
業績等については触れません。晩年、日本で3番目に出来た軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長時代の「行い」
等を披露します。

〇 総理大臣の田中角栄氏が、日曜日にアメリカ大使を同道して来場。プレーを希望したが、「日曜日は
メンバーズオンリー」として、プレーを拒否した。
〇 田中角栄氏は後にメンバーとなった。汗かきで腰手拭い姿でプレーすることが、倶楽部で話題になった時、
白洲理事長は、「腰手拭いは、角さんの必需品」として笑い飛ばしていた。
(注) 私が軽井沢のタクシー観光をしていた時、「30年ここでこの仕事をしているので、知らないことはない」と
豪語した運転手から、「田中角栄さんが、腰手拭いでプレーしているので、巡回していた白洲理事長が『帰れ!』
と叱り飛ばした」と聞きました。

〇 中曽根首相が現職時代にプレーした時は、護衛の警察官等、コース内には一歩も入れなかった。
〇 白洲次郎のモットーは「Play Fast」。下手がライン読みに時間を掛ける等、もっての外で、一人が多くの
時間を使うことは許されない。打数の多いプレーヤーは、一打に掛ける時間を短くせよ。白洲理事長は、
どんな偉い人でもスロープレーヤーは面と向かって注意していた。
(注) 軽井沢ゴルフ倶楽部は、「会員ノゴルフ練習ニ供し、兼テソノ親睦ヲ図ル目的トス」。

〇 白洲理事長は「倶楽部の建物の中の物に商品の広告がチラチラするのは怪しからん」、「絆創膏を貼る」として、
理事会で承認を得て、冷蔵庫やアイスボックス等に絆創膏や紙等を貼った。
 親しい友人とプレーする時に、その友人は白洲理事長が振る寸前に声を掛けて止め、「あんたのボールに
商品名が入っている。絆創膏を貼ってあげる」と言った。「バカヤロウ」と言った白洲理事長は上機嫌でスタート
して行った。

〇 軽井沢ゴルフ倶楽部は、予約システムはなく、会員が来場順にスタートする。いつでもトーナメントが開ける
コンディションにしてあるが、プロゴルファーは禁止、新聞記者・警護の人・秘書・運転手は倶楽部ハウスに入れない。
〇 ラウンドは全組キャディ付きで、歩いてのラウンド。そして、11月から4月は冬季閉鎖。それ以外は無休。

8月27日  旧軽井沢銀座は、値札を確かめただけだった  T.HoSoDa

【”2025中国五県ゴルフ場カレンダ-”   会員権ご購入の方にプレゼント中!!】

2025年掲載ゴルフ場 /和木ゴルフ倶楽部/岡山西ゴルフ倶楽部/宮島志和カンツリー倶楽部/グリーンパーク大山ゴルフ倶楽部/備中高原北房カントリー倶楽部/広島国際ゴルフ倶楽部/大山アークカントリークラブ/鬼の城ゴルフ倶楽部/玉造温泉カントリークラブ/千代田ゴルフ倶楽部/尾道カントリークラブ/呉カントリークラブ 

”ゴルフを愛するあなたへ ゴルフに恋したあなたへ”

ゴルフ会員権センター ティーアップ
広島県広島市中区八丁堀15番6号 広島ちゅうぎんビル4階

電話082-511-5005 担当直通090-1333-5630